僕は、ヨバルスがもう哀しまなくていいようにしたかったんだよ。
あの空で。
あの空のヨバルスの側にずっとずっと……。
悲しいことも泣きたいことも
ヨバルスの側にいれば、
平気だったんだ。
ぽうっと、指の隙間から光が漏れていた。それをタウは不思議な面持ちで見つめる。一本一本指を開いて行くと、その光は強くなり彼は目を細めた。ゆるくしばった小さな袋の口の隙間から、光がまっすぐにタウの額を照らした。その仄かな暖かさをタウは懐かしいと感じた。
「ヨバルスは、私に自分のいとし子をくれたんだ。何よりも愛しい自分の子供を私に与えてくれた」
タウは青年の言葉を聞きながら、その光を見つめた。出した自分の左掌の上で袋を逆さにした。
「私は夢中で彼らの記憶を貰った。美しいヨバルスの姿、美しい空の色。それを夢中で貰って……彼らから翼を奪ってしまった」
小さな掌の上に、ころんと種が転がり出てきた。その種から光は発していた。呼吸をするように点滅している。
「ヨバルス……」
天のヨバルスは言葉をくれなかった。
なのに、この種は……。
「彼女を失って、どんな生き物をも育んでいく気力も自信も失った私に、彼女は最後の言葉をくれたんだ。その枝に寄せて」
タウは青年の方を見る。青年は立ちあがり、一歩一歩こちらに近づいてくる。だけど、タウは逃げようとしなかった。
ヨバルスの望みと喜びはここにあるのだから。タウは自分を照らす種の光を受けて、立ち尽くしてしまった。
(だけど、僕は……)
「私は彼女がくれたいとし子を、生命を。もう1度愛してみようと思った」
青年はタウの掌に視線を落とす。
「それでも私は彼女を忘れることはできなかったよ。だから、翼を持つものが降り立ったとき、彼女の姿を求めてしまう。その者が彼女を愛すれば愛するほど、鮮明に記憶をくれたんだ」
「ファイは、覚えてた」
「彼は、彼女を愛してはいなかったよ。……それよりも、私に憧れているようだった」
「僕達は覚えている!」
「君達は、私に充分彼女の声を聞かせてくれた。君達というよりは、この枝が」
小さな枝を指し示して、青年は目を細める。
「私にくれた。君には聞こえるね? 声が」
青年の目はイクロに向けられる。イクロはぎゅっと唇を結んだ。
帰りたいって枝は言った。
その行き先は、よく分かっている。
目を瞑れば、さわさわと葉の擦れあう音が聞こえる。
ヨバルスの大きな枝の下で感じる木洩れ日。ヨバルスの優しさを含んで落ちてくる光を、顔を上げていつまでも見ていた。
あの空気にとけこむような思い。
優しく慈しんでくれながらも、いつもヨバルスは哀しんでいた。
だけど、ここでは、ヨバルスの響きは、溢れんばかりの喜びと僕達への悲しみで溢れかえっている。
タウは琥珀色の瞳を、種に落とした。光は徐々に強くなって行く。目を細めてその瞳の先を探ろうとした。
光はイクロの姿を飲みこみ、自分の腕を握っていた彼女の指先を視界から消し、そして徐々にタウの姿さえ消そうとしていた。同時に大地の感触が消え、タウは真っ白な空間に投げ出された様に感じた。
目を瞑る。そして、もう1度開けたとき、タウの目の前には優しく細められた瞳があった。
その瞳を形容する言葉が出てこない。その顔は女性だと思った。だが、どんな顔なのか記憶に止めようとすると、伸ばした指をすり抜ける様に言葉は頭から消えて行く。
白い光の中で、タウと目の前の女性のたった二人きり。
タウは自分の手を見下ろそうとした。だけどそこに自分の手は見つからなかった。白い世界には輪郭が無くて、ただこの思考だけが残されている。
『私の可愛い子供たち』
その声にタウは目をつぶった。願っていた声だった。響きだけじゃない、この耳でこの翼で捉える事の出来る声。
自分の目。腕を伸ばして触れる事はできないけど、零れ落ちるものの軌跡をタウは感じることができた。
『空を愛している』
『風を愛している』
『共に過ごした時間を愛している』
『だけど、タウ……』
そっと暖かな感触を頬に感じる。
『帰りたい』
わかってます。とタウは心の中で思った。
貴方の思い、貴方の願い。すべて伝わってくる。
『天の私は残り少ない。そして、あなたの手にある私は……それを願うの』
『目を、開いて? タウ』
タウは言われるままにそっとその瞳を開いた。
その目の前には誰も居なかった。ただ、頬に残る感触だけが、暖かさと幸福感をタウにもたらしている。
『私は大地へ帰ります』
タウは自分の目の前の空間を見つめ、そしてゆっくりと頷いた。
『ごめんなさい。タウ。私の我侭を許してちょうだい。ルズカルにも謝りたい……』
『それでも、私は……』
タウは口を開こうとした。思っていた言葉を口から発する。それは大変重労働なことだった。
「僕は……」
ようやく一言発したとき、白い世界は遠いところから収束した。回りの風景は色を取り戻し、光は一気にタウの手のひらに集まった。イクロの不思議そうな顔と、青年の静かな表情を見渡して、タウは一息ついた。
幻?
種は光をその実に漂わせ、ときに強く、時に消えそうなほど弱く光を繰り返していた。
タウはその種から顔を上げ、青年を見つめた。
「僕は、ヨバルスが大好きで」
青年は頷いた。タウの言葉を噛み締めるようなうなずき方だった。
「僕はヨバルスの望む事を……してあげたい」
イクロは赤茶色の瞳を涙一杯にして、こちらを見上げる。
「ヨバルスは、ずっと悲しんでた。
それは、地人が争うからじゃなくて。
ヨバルスの一枝が謝ってたのは……。
謝ったのは、地人にだけじゃなくて……僕達にもだから」
タウの腕にしがみつくイクロの手に力が入った。
「ここでヨバルスが幸せになれるなら。僕は……」
タウは彼女の肩を抱き寄せる。
「ヨバルスがもう泣かないでいいようにするために僕は大地に降りてきたんだ。
僕はヨバルスのいる空が好きだ。空にいるヨバルスが好きだ。それでも、ヨバルスがここで幸せになれるなら」
タウの琥珀色の瞳は、青年に懇願する。
「大地は、ヨバルスを愛してくれる?
なら僕は、空を望まない。僕は、ヨバルスを望むから……」
イクロは種を挟むようにしてタウの掌に自分の掌を重ねた。タウがイクロを見ると、イクロは目を閉じて唇に笑みを浮かべた。
イクロの笑顔ではなかった。透き通った光を受けて、綺麗で切ない微笑み。
赤茶色の瞳に涙を浮かべながらも、薄紅色の唇に笑みを浮べる。それに、タウは見とれた。
「聞こえるね」
「うん」
「『嬉しい』」
ぽつりと呟いたイクロの言葉。イクロの声で話したのは、ヨバルスだろうか? ヨバルスの種だろうか?
「ヨバルスを、大地へ返します」
二人で手を青年の方へ差し出した。
答える様に青年は微笑み、そっと種とタウとイクロの手を一緒にそっと包みこんだ。
「ここでは、樹は私に根をはる」
青年はそう呟いて、タウの掌を見つめた。
「私に根をはり、生命を育んでいく」
タウは思い返した。今まで歩いた地上の風景を。人々の笑顔と悲しみと血と憎しみと。
はっとする緑の美しさと。花の華やかさと。
大地の、土の暖かさを。
パリッと小さな音が弾けて、タウは恐る恐る自分の掌に目をやった。青年がその手をどけ、イクロもゆっくりと手を離す。そこに現れたのは、光り輝く種だった。
茶色のからを破って、小さな緑色の頭が覗いていた。
それをみて、タウはようやく微笑むことが出来た。
溢れるばかりの喜びを噛み締めて、青年の柔かな手のひらに彼は種を置いた。その瞬間、彼の姿はゆっくりと薄れ、タウとイクロがそのまぶしさに目を細めている間に、掻き消えてしまった。
タウがその場に視線を落とすと、大地には小さな芽が顔を出していた。
タウとイクロはしゃがみこみ、その小さな芽に微笑む。
さわさわと回りの木々が葉を擦れあわせる。その音と風が彼らの回りをやさしく取り囲んだ。
『おかえり……』
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