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エピローグ
 

 人形師の町は、あの喧騒も忘れたように日常を取り戻していた。人々はすべてを忘れたように、動き出す。ただ、時々思い出したように空を見上げるのだけだった。
 自分達の前を、追いかけっこをしながら子ども達が横切る。それにしばし足を止めると、連れている4匹の馬も同じように脚を止めた。
 ランは隣を歩いていたエノリアに小さく声をかけた。
「……あいつの弟、明日埋葬らしい」
「……そう」
 エノリアは子供たちの背中を視線で追う。つい最近、『攫われるぞ』と言いながら追いかけっこをしていた子ども達。
 あの台詞がなくなったのは、この町の気配を微妙に察していいるからだろう。
 二人は再び歩き出した。ほんの三日前にあったことを、もう一ヶ月も前のことのように感じながら。
 ランとエノリアもよくわからないのだが、あの後、カタデイナーゼと一緒に小屋を出た。気の抜けた彼の意識をはっきりさせようとしていると、ラスメイが1人焦った様に走ってきた。どうして小屋の位置がわかったのか問い詰める前に、ものすごい勢いで森の中にひっぱられて、行きついたのは花畑。
 ミラールが意識を失って倒れ、ナーミがその場に座りこんでいた。
 何がなんだかわからないうちに、ナーミの指を差した先に彼の遺体があった。
 鋭いつめであちこちを引っかかれた目にも無残な遺体。何日か経っているはずだったが、腐乱はせずにその場に眠る様に倒れていた。
 ラスメイ曰く、闇《ゼク》の魔術で魂を止めていたかららしい。それ以上、詳しいことは語ってくれなかった。
 事情は、少しずつ話してくれたが……。辛いのを隠そうとする表情が、かえって痛々しくて、聞き辛かった。
「ナーミは……?」
「分宮《アル》に篭ってるらしいよ」
 エノリアはランの顔を見ずに、相槌だけ打つ。
 ランはメロサに来て、すぐに攫われたし、カタデイナーゼとかナーミとかとは馴染みがない。だが、事情を聞いたりしていると、すぐに出発という気にはならなかった。
 すぐに出発しなかった理由は他にもある。ミラールの体調だった。
 意識はすでに戻っていてメロサーデの屋敷で、ラスメイと共に休養させてもらっていた。もう大丈夫だと強く言うミラールに負けて、出発を決断し二人は宿に置いていた荷物を持って、屋敷へ向かう途中だった。
 同じく宿で休養していたエノリアの代わりに、ランは二つの間を行ったり来たりしていたのだ。ランはエノリアよりも事情に通じてしまっていた。
「カタデイナーゼは?」
「……双子のこと、公表するみたいだ。そんな因習を終らせるために……。キールはメロサーデ家の墓地に埋めるって」
「……大変ね」
「父親と対決ってとこか。まあ、明日は押しきるみたいだけどな」
 沈鬱な空気が二人を包んだ。
 思わず出るため息を、二人はお互いに止めさせようとは思わなかった。ため息が重なったとき、苦笑にもにた顔で見合わせただけである。
 オオガといい、メロサといい、後味の悪い事件が続いている。どちらも、魔物がからんでいて……エノリアにとっても、楽しい事態ではないことは確かだった。
「エノリア……さんだったねぇ?」
 二人がうつむき下限で歩いていると、そう気さくに声をかけられた。名前を呼ばれたのはエノリアだったが、ランも自然に顔を上げる。
「えっと、ローザさん?」
 気が付くとそこは、キャノを連れて行った家の前だった。恰幅のよい女性は、にこにこと笑いながらエノリアに近づいてくる。思わずエノリアもつられて笑顔になった。
「そう。あの時はお世話になったねぇ?」
「いえ、そんな」
 何といったらいいのかわからずに口篭もると、ローザはエノリアの隣で立ち尽くしていたランに目をやる。
「あれ、あの時のお兄さんじゃないね」
「え、ええ。彼はもう一人の仲間です」
 エノリアの言葉を聞いて、ランが少しだけ眉を動かした。その意味を、エノリアもローザもわからなかっただろうけど。
 じっと見つめてくるローザに、ランもどうしたらよいのかわからなくて居心地が悪そうに会釈をした。
 ローザはそのギクシャクした態度に笑ってこたえ、エノリアに目を向ける。
「みんな、記憶が戻ったみたいだね。……いろいろ、あったみたいだけど」
 ローザがなんとなくまじめな顔でそう呟くので、エノリアは小さくぎこちなく頷いた。
「ご存知、ですか。この事件の……」
「ご存知ってなわけじゃないけどね。まあ、一部の人間は噂程度は聞いてるさ。メロサーデ家に双子が生まれてたってのは驚きだけどね。……今更、双子がどうのこうのって時代じゃないよ。
 私ら庶民なんてもんはね、子供は多い方がいい。ただそれだけだよ。
 妙な慣習に縛られてるのは、上の人たちばかりさぁ。
 上は上で大変なもんだねぇ」
 ローザはそう眉を寄せながら言うと、またにぱっと笑った。
「ま、ここまであっさりと言うのは、私ぐらいかもしれないけどね」
「……そうですか」
 ローザはエノリアを手で招き寄せると、その耳元に口を寄せるしぐさをする。エノリアは少しだけかがんで耳をローザに向けた。
「あのね。あんた、前に言ってただろ。ラミュにいい思い出があったんじゃないですかって。それで、うちの旦那が食べたラミュのことを忘れたんじゃないかって」
「えっと……? ええ」
「そう、それでちょっと話をしてみたらねぇ。うちの旦那、昔ラミュが嫌いだったんだよね。
 まあ、まだ結婚もしてなかったころだったから……私も若くてねぇ。最初にあの人に作ったのは、ラミュのタルトだったんだよ。
 あの人、泣く泣く食べたらしいね。だけど、食べてみたらおいしかったって。
 それから、好きになったんだって」
「それじゃあ……」
「おかしなもんだよ。私も忘れてたし、知らなかった話さ。あの人はラミュ嫌いだったなんて全然知らなかったからね。
 失った記憶が、今度は新しい記憶を連れて戻ってきたんだよ」
 うれしそうに顔を少しだけ赤らめ笑うローザに、エノリアは笑みがこぼれた。自然に出てきた笑顔だった。
「みんな、そうかもしれないねぇ。
 一度失ったことで、その大切さを改めて知ったんだ。
 変な話だけどね……。あの事件は、新しく私らにいろんなものをくれたんじゃないかってね。
 大切なものを知る機会をくれたんじゃないかって、私は思うんだよ……」
 ローザとわかれて、二人はまた歩き出した。
(大切なものを知る機会)
 エノリアはその言葉を胸に、隣で黙々と歩くランを盗み見た。少しうつむきがちに歩くランの緑色の目に、長めの前髪が影を落とす。
 前髪、切らないと……などと思いながら、エノリアは呟いた。
「ねぇ、ラン」
 エノリアがわざと明るめの声で呼びかける。少し目を見開きながらランはエノリアを見た。まっすぐに見つめられて、エノリアは口ごもった。なんとなく、先が続けにくい。
 次の言葉を何も言わずに待つラン。
「攫われたときにねぇ……。その……、何を追ってたの?」
「何って……」
「私さ、シャイナを追ってたのよ」
「俺は……あんまり覚えてないんだけどさ……」
 少しだけ期待の篭るエノリアの視線から顔をそらして、ランは顎をさすった。
「……光かな」
「はっ?」
「光と子守唄?」
「それだけ……しか、覚えてない? い、意識がなくなってたときとか、どんな夢見たとか覚えてない?」
「そんなこと言ったって、意識がなくなってたときのことなんか、覚えてるかよ」
 あっけらかんと言うラン。エノリアは急に目を吊り上げた。
「エノリア? なにか?」
「先に行く」
「あ? ……ああ」
 引きとめようともしないランに、何か怒りに似たものが湧き上がってきて、思わずその足を蹴ってしまった。
「エノリアっ!」
「あ……はは。ごめん、つい」
 逃げるようにエノリアは、自分の愛馬だけを連れて前を走り始めた。エノリアの背中を見、涼しい風を受けながら、ランは空を仰ぐ。
 何を追っていたかは、覚えてる。金色の髪が作る軌跡。
「言えるかよ。お前を追ってたなんて……」
 前髪を浚う風に気持ちよさそうに目を細めて、ランは首を振った。
 幼いときの自分。セアラ……。
 そして。
「カーディス」
 自分が殺した大切な人……。

 

(第2章「人形師の町」終わり)

 
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