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 ミラールは、ラスメイとエノリアが待つ池のほとりまで戻ろうとしたが、その途中道沿いで帰りを待っている二人に出くわしたので、池まで行く必要はなかった。
「どうだ、なにかあったのか」
 ラスメイの問いに、ミラールは大きくため息をついた。説明もしたくないというように重々しく、出来事をつげる。ラスメイも魔物に襲われたことを報告した。
「無事でよかったよ」
「まあ、当然だろう。雑魚にやられる私ではない」
 ミラールの安心したという笑顔に、すこし照れつつラスメイはそう言い返した。
「ひとまず、ランのいるとこまで行きましょう。ランにも詳しい話をしなくてはね」
「今、見張りをしてるよ。何が起こるか分からないから、結界を張ってるんだと思う」
「…もう終わっているだろう」
 ラスメイはそういうと、馬を進ませた。ミラールが思ったよりも馬車のある位置は遠かった。
 あの時は夢中で魔物を振り払っていて、どれくらい進んだのか分からず、戻ってくるときも早く戻ろうと思っていて、計る余裕もなかった。
 そう言えば…、途中で振り払った魔者達はどこに消えたのだろう?道に叩き付けられて、絶命したものばかりではないはずだし、その死体さえない。林にまた、消えたのだろうか?
 それに、どうして…。誰ともすれ違わないのか?
 ここはフュンランとシャイマルークを結ぶ道路のなかでも、主となる道路だ。こんな昼時に、旅人とも商人とも会わないはずがない。
 ミラールは不審に思っていた。こういう旅ははじめてだろうエノリアも、あまり出歩かないラスメイも気づかない様だが、音楽会やセアラの頼み事でランとシャイマルーク周辺を旅したことのあるミラールには、不思議でしかなかった。
(何か、あったのかな)
 この先で…。そう言えば、自分達以外にシャイマルークから向かってくる人間がいない。いや、この6日間違和感は感じていた。だんだん少なくなるなと。そして今日は、朝早かったとは言え…いくつかの小さな街を通りすぎたが、ほとんど誰にも会わなかった。
(ランは気づいているのかな…)
 あまり、そういうことを気にしないほうだから、気づいてないかもしれない。
 道から外れた丘の上に、馬車は止まっていた。ランは馬車の馬を放してやり、オオガまでそれを連れて行く準備をしていた。
 馬車は現状のままにしておき、調べてもらう必要があるだろうが、馬のほうは放っておくと、飢えてしまう。
 ランは馬車から5メートルほど離れたところで、馬車を眺めているようだった。結界の出来を確かめているのか、それとも、ほかに何か考えているのか…?
 エノリアが見る限り、いつものランではないようだった。何かを深く考えているようで、唇は堅く結ばれている。
 一度口を開いたら、悪口の応酬になってしまう。それは、すごく嫌ではないが、好きでもない…。  エノリアはミラールやラスメイがランに近寄るのも構わず、少し離れて見ていた。なんとなく、近づいてはいけないような気がしたからだ。それだけ、ランの雰囲気は他人を遠ざけようとするものがあった。
 3人は馬車のほうを見ながら何かを話し始める。ラスメイ達が話し掛けた瞬間に、ランの何かを思いつめていたような表情が、ふと緩んだようにエノリアには見えた。
「こっちはとばっちりだとは思うが、魔物に襲われた」
「大丈夫だったのか」
「見ての通りだ」
 ラスメイは両腕を開いて、傷がないことを確認させる。ランはラスメイを見て頷き、少々心配そうにエノリアのほうを向いた。じっとランを見詰めていたエノリアは、目が合いかけて反射的に、うつむいてしまう。
(…不覚…)
 妙なそらし方をしたことがなぜだか少々悔しかった。とにかく、3人に合流しようと足を進める。
「ひとまず事の次第を、宮になり関係者になりに報告しておく必要があるから、オオガの分宮《アル》に寄ろうと思う」
 エノリアが近づいてきたことを認めて、ランは再確認するようにそう言った。
「あそこの分宮《アル》は光宮《ヴィリスタル》関係だよ」
 ミラールがそう念を押すように口を挟む。ラン達の問うような視線に答えて、エノリアが大丈夫だと言いながら頷いた。
「ここ4年、光宮《ヴィリスタル》から派遣されたりしてなければ、私の存在を知っている人はいないと思うわ。と、いうよりも光宮《ヴィリスタル》にいた《ヴィリスタニア》だって、私のこと知らない人のほうが、多いから」
「じゃあ、大丈夫だろう」
 素直に頷くラスメイと対照的に、ミラールは少し不安そうな顔を見せた。
「そうだ、ラン。なんか、変だとおもわない?」
「何が?」
「オオガのほうからやってくる人が、一人もいなかっただろう?逆に、シャイマルークからくる人もいないんだよ」
「そう言えば…。今日は誰ともすれ違わないな」
「それと怖いのは、追手が来ないってことだよ。こんな主だった道を通るはずないと思っているのか、もっと他のことを考えているのか」
 考え過ぎじゃないのか?という言葉を飲みこんだ。追手のことはそうと言えても、シャイマルークへ向かう人間がいないのはおかしすぎる。
「何か起こっているのかもな…」
 呟くランにミラールは頷く。一瞬の沈黙。それを破るかのように、風がざざっと音を立てて四人の間を駆け抜けた。それぞれの髪が一瞬だけ強い風に遊ばれ、顔に吹き付けられる。
 それが止み静けさが戻ったとき、エノリアのはっきりとした声が響き渡った。
「くよくよ考えても仕方がない!」
 いきなり出された大声にびっくりした3人が、エノリアを振り返る。エノリアは3人に指を突きつけて、金の瞳を輝かせた。
「何かが起きているかどうか、確かめないうちには考えたって仕方がないでしょ!はい、オオガに行くんでしょ!行かなきゃはじまらないじゃないの!」
 唖然とする3人の前で、エノリアはにっこりと笑った。
「そうじゃない?」
 まさに光《リア》のようなと表現できる笑顔に、最初に微笑んだのはラスメイだった。
「そのとおりだ」
 でしょ、と元気よく言っておいて、唖然としているランに顔を向けにやりと笑った。
「あんたはいろいろ複雑に考えるのは、苦手そうなのに。こういう時にこそ、持ち前の単純さを発揮しないと」
「だれが考えるのが苦手だって?」
 片方の眉をあげるランを見て、ミラールが思わず吹き出しそうになり一生懸命こらえている。
「考えずに行動するのがお得意のようだけれど、違ったのね」
 せせら笑うようにエノリアはランに視線を向け、そして、自分の馬に乗る。ミラールの肩が小刻みに揺れているのをランは気づいていたが、エノリアに言い返すことで、頭がいっぱいだった。
「お前こそ、そっちのほうが得意なんだろ」
 ランも馬車を引いていた馬を紐で先導する準備をして、ラルディの背にまたがった。
「オアイニクサマ。的確な判断と冷静な行動は、ワタクシの得意とするとこですわ!」
「レイセーな行動だとぅ…?」
「見習いなさい、見習いなさい。おほほほ」
 すっかりと浮上したようすのランと、エノリアの言い争いはオオガが見下ろせる丘につくまで、繰り広げられていた。それを後ろをついていく二人は、(楽しみながらも)苦笑しつつ聞いていた。
 しばらくして、オオガの町並みを丘陵から見渡せるところまで来ると、ランとエノリアの言い争いも沈静化していた。
 丘から見下ろして、ミラールが感激したようにつぶやいた。
「水の都オオガ…。久しぶりだね、ここに来るのは」
「そうだな」
 エノリアもその名称に期待を膨らませた。水の都・オオガ。その名前はリーシャから聞いたことがある。彼女も直接訪れたわけではないので、人から聞いた話をしてくれたのだけど。
 オオガの近くには多くの湖沼があって、その風景の美しさは多くの人々に愛されてきた。まさに、オオガは観光名所としてシャイマルークやフュンランの人々に有名であった。
 そのオオガの街の中心には、水が豊かなことを反映するような、美しく大きな噴水があるという。
 また水魔術師《ルシタ》を多く輩出しているし、オオガ自体多くの水魔術師《ルシタ》によって守られている。
 余談ではあるが、町には必ず宮の分宮がある。たいてい、地宮《ディルアラル》の分宮であるのだが、オオガは水《ルーシ》に恵まれていることもあって、光宮《ヴィリスタル》の分宮《アル》が建てられていた。
 数多くはないが、風《ウィア》の恩恵を受けた町は月宮《シャイアル》の分宮《アル》が建てられる。その他は地宮《ディルアラル》の管轄にあるのだ。
 地宮《ディルアラル》の管轄とは言っても、地宮《ディルアラル》の仕える者《ニア》は、月宮《シャイアル》や光宮《ヴィリスタル》とは選ばれる条件は違って、光《リア》を持ってさえいれば 《ディルアニア》に配属されるので(光宮《ヴィリスタル》なら金、月宮《シャイアル》なら銀。地宮《ディルアラル》はどちらでもかまわない。)その分、地宮《ディルアラル》の仕える者《ニア》は多く採用される。
 仕える者《ニア》から宮の巫女《アルデ》が選ばれるのだ。一般の人は、地宮《ディルアラル》・月宮《シャイアル》・光宮《ヴィリスタル》から選ばれた巫女《アルデ》に違いを感じたりはせず、みな、光《リア》を持ったものとして歓迎される。厳密にどこの管轄であるという意識はないらしい。
 期待に胸を膨らませ、少し頬を紅潮させるエノリアとは対照的に、ラスメイは紫色の瞳に暗い色をたたえていた。
 口をきゅっと結んで、街を睨み付けている。それに気づいたミラールが、声をかけた。
「どうしたの、ラスメイ。具合でも悪い?」
「霊が…覆っている」
「レイ?」
 エノリアがにこやかな顔をしたまま、ラスメイに聞いた。
「霊だ。魂、肉体から離れた塊…、それから…」
「レイ…?幽霊のこと…!」
 エノリアの顔が一転して引き攣った。
「その幽霊って、死んだ後に人がなるもののこと…?」
 一生懸命、取り繕うとしているが、声がかすかに震えていた。
「まあ、一般にはそうされているね。死後の世界はまだちゃんと解明されていない。魂となり、それが持っている要素に戻り、イマルークの元に行き、再び肉体を纏って地に帰るのだ…という説もあるし」
 ラスメイは硬い表情のまま、説明をする。
「天空に死後の世界があり、そこで永遠に暮らすのだとも」
「ほ、本当に幽霊っているの?」
 エノリアのその様子に、ランが横から笑い飛ばす。
「お前、幽霊が怖いの?」
「こ、怖いんじゃないわよ!訳が分からないものは苦手なのよ!」
「…怖いって言うんじゃないのか、それを」
 クスリと笑うランをエノリアは反論できずに睨み付けた。そんなエノリアの心情を知らず、ラスメイは淡々と説明を続けていた。
「霊はいる。どういうしくみか分からないけど。だって闇魔術師《ゼクタ》の力は、霊を操ることでもあるんだからな。
 闇魔術師《ゼクタ》は、水魔術師《ルシタ》や風魔術師《ウィタ》のように直接精霊を操って、攻撃とか守りとかは出来ない」
 ラスメイはずっとオオガを見つめている。目の前にあるのは、ラスメイにとってうめき声が聞こえてきそうな空間だ。
「闇魔術師《ゼクタ》と光魔術師《リスタ》の能力は似たところがある。どちらも、人に関する作用でね。たとえば…幻を見せたりとかそういうことだけど。
 大きな力としては、霊を呼ぶことが出来るってことだな」
 ラスメイは少しエノリアのほうを向く。
「光魔術師《リスタ》や闇魔術師《ゼクタ》は霊感が強いんだ。霊を見ることが出来るものが多いと聞くが。それは、光《リア》をもつ者と闇《ゼク》を持つ者も、多少なりともあると聞いたが?」
 問い掛けるラスメイだが、エノリアは少々顔を青くした。
「ううん、ううん!私は見たことが無い!」
 とんでもないと首を振るエノリアに、ラスメイは苦笑する。
「…まあ、全員が全員というわけでもないから」
「ラスメイは見えるのよね…」
「まあ、見ようと意識すれば、いつだって見ることが出来る。強いものは人の意志を無視して、見えてしまうけどね」
 ラスメイは、エノリアの肩をじーっと見つめた。
 エノリアはびくっとすると、肩のあたりを手で振り払う。
「見ないでいい、見ないでいいってば!」
 ラスメイは愉快そうに笑いとばし、苦笑したランが間に入る。
「もう、それぐらいにして置けよ、ラスメイ。見えないんだろ」
 へ?という感じで、半泣き状態の目をラスメイとランにむけた。それを見て、ランが笑いを押し殺したような表情をして言う。
「向こうが強いものなら、見えるというのは嘘じゃないけどな」
「私の場合は、闇《ゼク》に頼まなければ、見えないよ。日常生活でいつも見えていたら、つらいだろう?力が弱いものほど、日常で抑制できずにどんどん見てしまうっていう話は聞くね。
 エノリアの光《リア》は強いから、能力も強くてちょっとやそっとじゃ見えないのではないか」
 ラスメイが人を食ったような顔で、エノリアに笑いかけた。エノリアはしばらく唖然としていたが、口をへの字にすると、二人を睨み付けた。
「からかったのね」
「あんまり、怖がるから」
 ラスメイは、いたずらっぽい笑顔をする。その笑顔がたまにしか見ることのできない、年相応の顔だったのでエノリアは何も言えなくなってしまう。
 行き場の無い悔しさ。そのとばっちりをランに、向けようとした。意気込んでエノリアがランのほうを向くと、彼は楽しそうに笑っていた。
「お前、意外に…」
 口から出そうとした言葉を、エノリアは飲みこんだ。ランのそんな笑顔をはじめてみたような気がする。皮肉げな笑顔なら何度も見たのだけど…。だから、言うタイミングを逃してしまった。
「かわいらしいのな」
 言うタイミングを逃しただけでなくそんな不意打ちをくらっては、そっぽを向くことしか出来なかった。その後の言葉に、どんな言葉を言い返しても、今の心境では言い負かされそうだった。顔をそらしたその先に、ミラールの笑顔があった。
 その笑顔がいつもと違うように見えたのは、気のせいなのだろうか…?ミラールはすぐに普通の笑顔に戻ったけれど、エノリアはそれを見逃さなかった。ミラールはふいっと顔をそらすとランとラスメイに声をかける。
「話がそれてるよ、御二人さん」
「そうだったな」
 ラスメイは、再び顔をいつもの大人びた表情に戻して、オオガを見渡した。
「霊が溜まっているんだ。何かに呼び寄せられたみたいに。そして、入ったはいいが出られない、そんな状態になってる。詳しいことは、近づいて触れてみないと分からないな」
 ミラールとランはラスメイの言葉を聞きながら、オオガを見つめる。エノリアだけが、少し視線を逸らしていた。
「人の手が関わっている。光魔術師《リスタ》か闇魔術師《ゼクタ》か分からないが…。あれでは、普通の人にも空気が重いだろうに…」
 ランやミラール、エノリアには分からない。
「何が起こっているのだろう」
 呟くミラールの声が、ほかの三人の心に染み込んだ。
 魔物に襲われた宮の馬車、そして、霊に覆われた水の都・オオガ。この二つを結び付けるのは難しいけれども、嫌な予感がした。
「行くしかないだろう。エノリアサンの仰せのままにね」
 ランはラルディをゆっくりと進ませた。ミラールとラスメイは躊躇せず歩みを続けたが、エノリアだけが少し立ち止まっていた。
(こんなところで、止まっているわけにはいかない)
 分かっていても、怖いものは怖いのだ。
(ええい、ススメ!)
 自分を叱咤して、歩み始める。自分はそんなに情けない人間じゃない。そう繰り返して、エノリアは進んだ。
(たかが、幽霊…)
 もっと怖いものは、自分の中にある。
 そう、自分の中に…。
 エノリアは毅然と顔を上げた。
(自分以外に、怖いものなんてない)
 エノリアは心の中でつぶやいて3人に駆け寄っていった。


「光《リア》」
 呟く声の音色は、まるで歌を歌っているようだった。光《リア》…それは、特権。それを持つ者は、一つ上へ登れる。許される。
 光《リア》をもつ者がすることは、正しいことだから。
「分かってる」
 手のひらを光にかざしてみる。白く長い指。そこにはめられた指輪が、光を反射して彼女の目を差す。
「…分かってるわ」
 微笑む。
「後少し…」
 指輪にくちづける。
「…愛しい人…」
 微笑む。
 その微笑みは、何よりも暗い。
 光《リア》が人々の救いというのなら、
 そんなもの、もう、見失ってしまった。

 

 
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