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ソーハル |
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ソーハルの鳥が鳴くのは、番いの鳥が死んだとき。
鳴くのではなく、泣くんだって教えてくれた人が死にました。
私は泣くことが出来なかったのです。
だって、その人は私のツガイではなかったから。
ソーハルの鳥の鳴き声は、誰も聞いたことがないのだそうです。
だから、私は聞きに行こうと思いました。
そうしなくてはいけない気がしたからです。
◇
がさりと後方で物音がした。だがテンはその小さな身体を緩慢に動かし、後方を確認しただけ。まだ大人には少し遠い少女の職業……踊り子を象徴する一房の髪につけた蒼い石がたてる鈴の音も、小さく弱々しかった。
『この森には危険な動物が……』
彼女は思い出す。この森に入るまでに出会った老人からうけた忠告を。身体中に傷を付けその前に倒れていた彼女を、なんの疑いも無く小屋に招き入れ、介抱してくれた老夫婦。思い出すと暖炉の中で火の粉の爆ぜる音が聞こえる。
老婦は泣きそうな顔をして、テンの小さな手を握り締めながらそう言った。
『一緒に暮らさないかねぇ。本当の家族だと思って』
暖かな言葉。自分に触れる皺皺の手に、テンは頷きかけた。
だけど、家族は。本当の家族は死んじゃったから。
テンは首を振って断った。まだ幼い顔に、無表情を刻みながら。
またのろのろとテンは顔を前に向けて歩き始めた。
前方を塞ぐ細かな木の枝が、少女の柔かな肌を傷つける。だけど、腕でそれを払おうとする意志も緩慢にしかやってこない。
『せめてこのにおい袋を』
森の側の小さな小屋にひっそりと住む老夫婦が授けてくれた小さな袋。獣のいやがる匂いが入っているのだと渡してくれた。これでしばらくは獣も寄ってこない。匂いが……消えてしまうまでは。
名前は忘れたが、森に点在する木の皮を乾かしたものらしい。他の樹よりは脆弱なその樹の、生きる手段だという。テンもその木を見つければ、皮を剥いで身に擦りつけながら歩いていた。だが……気のせいかその木に出会う間隔が長くなってきている。そして先ほどから距離を置いてついてくる生き物の気配。
匂いが途切れれば、襲われる。
その予感は何故か彼女にはヒトゴトのように感じていた。
襲われて、死ぬ。
「死」という響きは、彼女にとって常に身近にあった。踊り子は人々の生活の節目節目の祭事を行う。生まれたときには誕生の喜びを。死ぬときには神のもとに上がる喜びを。
「生」も「死」も喜び。だが踊り子はよく知っている。どちらの踊りも踊る踊り子はよく知っている。「死」を喜びとするのは、人々がその先への恐怖を和らげるためなのだ。死人は語らない。死後のことを……。それは生きている者の1番の謎であり、人々が向かう場所だから「喜び」にすりかえて、生きる意味を見出すのだ。
じゃあ、なんで……「死」の踊りを踊ると、涙が出てくるのだろう? 人々は泣くのだろう。
泣く? そう、泣くのは……自分がかわいそうだとわかってるからだ。最愛の人と2度と会えない自分がかわいそうだと……。踊り子が泣くのは泣いている人の哀しみを泣くためだ……。
私は泣けなかった。カシが死んで、私は泣けなかった。「死」の踊りは「無」になった。
カシ。
『ソーハルの鳴き声。聞いてみたいね』
路上に捨てられていた小さな私を、拾ってくれたカシ。血の繋がりなんてない、赤の他人なのにカシは……私の家族だった。
『半身を失ったら……ソーハルはなんて鳴くんだろう?』
カシは私にそう言って微笑んだ。
『僕もね、半身を失ったんだ。死のうと思ったよ。生きていけないと思ったんだ。でも君の泣き声が聞こえたんだ。路傍で布に包まれた君は大きな声で泣いていた。
僕は死にたいのに、君は生きたがってた。
君を抱き上げたとき、僕は生きようと決心した』
だけど、あのときに死んでいたら。
『ソーハルは……半身を失ったソーハルは……。
死のうと鳴くんだろうか。それとも僕のように生きようと鳴くんだろうか』
私はそれを確かめに行く。
カシが、そう言ってたから……。
◇
がさりと後方で音がした。さっきよりも随分近くなっていた。だけどテンはもう振りかえることもしなかった。ただ前に前に進むだけ。
空で美しく花開くように舞う白い腕には、朱線が幾つも入っていた。喜びを天に示すために振り上げる赤い杖は、彼女の体重を受けながら地面にめりこみ、その先は茶色く汚れていた。軽やかな動きを生み出す彼女の足は、何よりも重く引きずられる。
あの木は、もう見つからない。
あっても分からないだろう。テンの視界はだんだんと暗くなっている。
カシ……。
ソーハルを探すため、通ってきた幾つもの町、出会った人々の言葉が頭を巡る。
一緒に行こうと、言ってくれた人。
だけどテンはその手を取れなかった。
ふと少女の視界が揺れた。
どうして? と考えたときに、彼女の膝は地面についてた。
ソーハル。
ソーハル、教えて。
私はなんて鳴けばよかったの。
カシを失って、なんて鳴けばよかったの。
近くの木に幹に背中をゆだねて、少女は木々の枝で覆われた天を見上げた。
がさりとすぐ横で音がした。
ああ……。匂いが……。
テンは紺色の瞳をその方向へやる。
どんな獣がやってきたのか、最後にきちんと見ようと思った。
そこには、一匹の鳥がいた。
大きな鳥。真っ白な身体に、赤いくちばし。頭に蒼く長い羽根が1枚揺れている。
少女は目を見開いた。
鳥……。
ソーハル?
鳥は琥珀色の瞳でこちらを見つめていた。そして、テンの座りこんだ木の根元へ視線をやった。テンはその視線の先を見る。と、そこには少し小柄で同じ種類の鳥がうずくまっていた。
生きているものと死んでいるもの、その気配ですぐわかる。
テンは再び視線を琥珀色の瞳へ戻した。その鳥はこちらをじっと見ている。
寂しそうな目。
「お前の……大切な……?」
掠れた声でそう聞くと、鳥は首をすこし傾げる。
ソーハルなの? ……それなら……!
それなら鳴き方を教えて、ソーハル。
大切なものを失ったときの哀しみ方を教えて……。
白い鳥はその赤い小さなくちばしを開く。
テン……。
テンは目を見開いた。そんな風に鳥が鳴いたような気がしたのだ。いや、そう聞こえるはずがない……のに。
鳥はテンに語りかけるように鳴いた。
テンの名前を呼ぶように鳴く。
カシの声で。
唇が震える。テンは前に両腕を突いて鳥の方へ身を乗り出した。腕に体重がかかり、掌に石の角が食いこみ柔かな肌を傷つける。だけど構わない。そんなことは構わない!
テン……。
「カシ……!」
少女は手を伸ばしかけて、その場に倒れた。小石が頬を傷つけ、泥が彼女の顔を汚す。唇に砂が付き、喘ぐように息を繰り返すと口の中にまで砂が入る。それに構わず懸命に顔を上げた。
白い鳥は琥珀色の瞳で彼女を見下ろしていた。静かな、光。
「連れて行って。……連れて行って!!」
哀しみ方なんていらない。鳴き方なんていらない。
「カシ……!」
そんなのいらないから、一緒に連れて行って!
鳥の瞳は一瞬だけテンに暖かい光を見せた。
そして彼女に近づき……そっと嘴で彼女の額に触れる……。
それだけ、だった。
◆
蒼天に鳥の声が長く響く。その声よりも少し高い声が追うように重なった。そして今度は同時に響き、そして空に吸い込まれるように消えて行く。
森の側の小屋に住む老夫婦は蒼天を見上げた。祈るように指を組み天を見上げる老婦の肩にそっと手を置き、老人は首を振った。
雲一つ無い蒼い空には、二つの白い影が旋回していた。一つの影がもう一つを追いかけ、やがて重なるとその姿も蒼天に吸い込まれて行ったのだった。
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