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さかな・ひと
 
 さかなになりたいわ。
 
 盛んに彼女が言っていた言葉を今更ながらに思い出す。
 
 さかなになりたいのよ。海はきっときもちいいわ。
 上からさしこむ光は、きっととても愛しいの。底へもぐれば潜るほど愛しくてしかたがないのよ。
 そういうふうに光を愛してみたいわ。
 
 底にもぐれば光なんて届かないだろう?
 
 そう言うと彼女はそうねと薄く笑った。
 
 底では光を忘れるの。
 自分の身体の境目を忘れて、波にずっとゆれているのよ。
 いつかふと自分の先の感覚を思い出すの。ゆっくりと自分の境目を探すの。
 ゆっくりと輪郭を辿って行って、点が線になったとき、私は思い出すのよ。
 
 何を?
 
 彼女はまぶしいぐらいの明るい笑顔を向ける。
 
 光よ。
 
 それはきっと、生まれ変わるってことに似ていると思うわ。
 
 彼女は何度もそう言った。
 さかなになりたいわ。なみになりたいわ。
 
 でも、僕たちは僕たちだから。
 そう言うと、彼女は自嘲的に笑った。
 
 そうね。一体何を言ってるのかしら私。
 
 消えそうな笑顔でそう言って。でも、言葉だけでは繋ぎとめる事ができなかった。
 
 僕たちは僕たちだから……。その言葉のあやふやさこそ、自分は知るべきだった。
 
 波打ち際、その言葉が聞こえる。
 あいしてくれてありがとう。

 はなをたむける。
 声が聞こえる。
 あいしてくれてありがとう。
 ひとりにしてごめんなさい。
 
 かまわないよと僕はいう。
 きみののこしてくれたこの小さな手を握り締めながら、
 ぼくはときどきここにいる。君の声に耳をすます。
 波の音で君の声を聞く。
 
 そしていつか、この小さな手も海へ帰って行くのだろうかと
 考えるときだけがつらいんだ。
 
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