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手のひら
 

  大きな手のひら。
 大きな手のひらの温かさ……。
 あれは、父の大きな手のひら。私の頬を包みこんでくれた、温かい手のひら。
 無理にシャイマルークへ連れて行かれるとき、父は私を強く抱きしめた。背中に回された大きな手のひらは、いつもと同じく温かかった……。



 気がついたら、彼女はベッドに仰向けに横たわっていた。
 見なれぬ天井を見つめて、彼女は今までのことを反芻する。そして、急に起きあがった。
(……ランが肩に手を置いてくれてた。それから……)
 崩れる地下から這う様にして脱出し、私は泣いていたはずだ。肩にランが手を置いてくれてたことは覚えている。
 その後……ランに抱き着いて……?
「抱き着いてた?」
 おもわず呟いてからエノリアは、首を大きく振った。
 それからずっと寝てんだ。泣きつかれて眠って……。
 きっとここまで連れてきてくれたのも、ランだろう。そう思うと、急に顔に血が昇った。
 恥ずかしさと行き場のない苛立ち。
「うそ……ぉ!」
 あいつに借りを作ったなんて思いたくない。泣き疲れて眠っていたなど、子供じゃないの!
「まずったなぁ……」
 額に手の甲を当てて、天井を見つめる。
 何となく思い出せば、ランはずっと抱きしめてくれてた気がする。文句の一つもため息の一つも洩らさずに。
 ずっと、背中を抱いていてくれた……?
 ずっと感じてた大きな手のひらの温かさは、夢の中の父のものだと思ってたけど……。
 頭を抱えていると、ドアが2回遠慮がちに軽く叩かれる。小さくうめく様に返事をすると、ドアの間からは今、最も見たく無い顔が現れた。
 暗く影を落とした緑色の瞳。ランだ。
「起きたか?」
「起きてるわよ。でないと返事しないわよ」
 こんな言い方は、ますます子供っぽい。そう思いながらも、エノリアはそう言ってしまった。まともに、ランの顔が見れない。
 何か、ちょっと悔しくて。
「……あのさ」
「何よ」
 ランは歯切れのわるい言いかたをするので、エノリアはますますつっかかったように言ってしまう。
 お礼を言うのを忘れている気がした。けど、もう遅い。
「気晴らしに、ちょっと出ないか?」
 ランはエノリアのきつい言い方も気にして無い様だった。いつもなら、もっと言い争いになる。きっとエノリアの泣き顔を見たからだろう。そう思うと、エノリアはますますムッとしてしまうのだが……。
 大きく息をついた。それでは子供のけんかだ。窓の外をちらりと見て、うめく様に呟く。
「夜だけど?」
「夜だから。お前、何も食って無いだろ?」
 そう言われて、エノリアは気付いた。お腹の辺りがすごく頼りない感じがしたのだ。
「ミラールとラスメイは?」
「食べに出たよ。お前を待ってたみたいだけど、先に食べに行かせた」
「どうして、あんたは残ってるの?」
 言いそうな答えをいくつか想像しながら、でも敢えて聞いてみた。どんな言葉でもいい。少しでも優しい返答が聞きたくて……。
「俺も待ってたんだけど? お前が起きて来るの」
 当然というようなランの言葉に、エノリアは目を丸くした。
「お腹、すいてないの?」
「すいてるよ。だから、誘ってるんじゃないか。お前、酒は飲めるほうか?」
 ランは少しだけ笑って、グラスを傾ける仕草をする。
「飲めるわ」
「じゃ、行こう」
「お酒を飲んで、気分転換しろってこと?」
 噛みつくように言うエノリアに、ランは笑みと吐息を一緒に落とした。
「なんでもいいよ。ただ……」
「ただ、何よ」
「ずっとそんな面されてると辛いんだ。こっちも」
「どういうことよ……」
 呟いたエノリアの言葉に、ランは答えるかわりにこう言った。
「泣いている奴が目の前にいたら、お前どうする?」
 エノリアは眉間に皺を寄せた。廊下からさしこむ光でランの表情ははっきりとしない。
「何が言いたいの?」
 問いかける金色の瞳から少しだけ目を逸らして、ランは顎で出口の方を指し示した。
「……ま、早く決めてくれないか? 俺はどっちにしろ、もう行くけど」
「私、酔わないわよ?」
 エノリアは寝台から降りると、近くに引っ掛けていた外套を少し乱暴に引っ張った。
「強いのか?」
「とは言っても、一杯以上は飲んだこと無いわ」
 扉を開けて待つランの方へ歩いていく。光のさしこむ方へ。
「小さい頃にね」
「じゃ、今はわからないんじゃないか」
「お酒より、ケーキの方がいいわね」
「お好きにどうぞ」
「ミラールとラスメイ、まだ食事してるかしら?」
「一緒に食べれるだろ。ゆっくり食べてるって言ってたからな」
 エノリアが自分の前を通ると、ランは開いていたドアを閉めた。先を歩くエノリアが、振りかえってランに目を向けた。
 金色の瞳で、ランを見つめる。
「で、あんただったらどうするの?」
「何が?」
「さっき言ってたじゃない。泣いている奴が目の前にいたらって……」
「ああ」
 ランは落ちつき無く鼻を指でさすり、そのまま手のひらを頬にやる。
「……お前にしてやったこと、するかな」
 エノリアは片方の眉を上げた。ランは困ったように片方の眉を下げた。
「もしかして、やっぱり抱きしめてくれてた?」
「う……あ、いや、あ……すまない。お前が泣き止まないから否応も無く」
「否応も無く!?」
「あ、言葉の綾だ。否応も無くというか、そうせざる得なかったというか」
「あんた、すっごく失礼なこと言ってるっていう自覚はないの?」
 怒るつもりが失笑してしまって、それを隠すようにエノリアは外套を翻して、前を向いた。そしてすたすたと歩いてしまう。焦ったように追いついてくるランの足音を聞いて、彼女はほくそえんでしまった。
「いや、別にそういう意味じゃ。……怒ってるのか?」
 顔を覗き込んで来るランから、顔をそむけてエノリアは笑ってしまう。その表情はランからは見えなかっただろうけど。
 宿の主人が半分笑いながら、いってらっしゃいませと送り出してくれるのに、ランはぎこちなく会釈して答えると、またエノリアに顔を向ける。
「怒って……」
「怒ってないわよ」
 顔が笑ってしまうので、エノリアはランから顔をそむけながら、そう言い捨てた。だが、ランはまだ怒っていると思ってるらしい。
 言い訳がましい言葉を繋げようとする。
「いや、だって、泣いてたら抱きしめたくなるだろ?」
「そうなの?!」
 わざと大仰に驚いて、振りかえると、ランは珍しく焦ったように右手を上げ、顔の前で振った。
「い……いや、違う。誰彼構わずってわけじゃない。さっきは、目の前で泣いてるの、お前だったから……かも」
 焦りながら言葉を紡ぐランには、自分がどんなことを言っているのかわかっていないのかもしれない。その言葉を聞いて、顔を赤らめてしまったのはエノリアだった。
「あんた……自分で何言ってるかわかってるの?」
『お前だったから』
 その部分が何度も繰り返されるのを、エノリアは必死に頭から追いやった。頭の中から、その言葉とあの温かい手のひらの感触が結びついて蘇る。
 温かくて、大きなてのひら……。
「顔、赤いぞ。エノリア」
「知らないわよ!」
 ずんずんと歩いていくエノリアをランは首を傾げつつ追いかける。ラスメイとミラーが待っているはずの店は、とっくに通り過ぎていたけど……。



「この魚美味いぞ、ミラール」
「付け合せのこのソース。レシピが欲しいなぁ……」
 二人は向き合って窓際で、舌鼓を打っていた。小さな魚を食べ終えたラスメイは、次の料理を待ち、窓の外を眺めている。
「魚にもいいけど、これは、肉にも合いそうな。お酒も欲しくなるね」
 とミラールが魚をナイフで切りつつ呟くと、ラスメイがポツリと言う。
「なあ、ミラール。ランたちは来ると思うか?」
「来ると思うよ。まぁ、ゆっくり食べてろって言ったんだ。僕達が食べ終わるまでに来るんじゃない?」
 適度な大きさに切った白身の魚を口に運ぶと、ミラールはラスメイを見た。ラスメイは窓の外を、頬杖を付きながら見ている。
「あれを見ても、そう思うか?」
 半分笑いながら指差した方向に、ミラールは顔を向けた。
 よく知った顔が、歩いているというには早く、走っているというには遅い速度でで横切って行く。
 一人は前を向いて、そして、もう一人はそれを追いかけるように。
 人影が通りすぎ、また遠ざかって行くのを見送りミラールはラスメイに視線を返した。
 抑えきれない笑い声を洩らしながら、ラスメイは赤い顔をしてミラールを見る。ミラールはにっこりと微笑み、手元のメニューを取り出しながら言った。
「食べ終わって、デザートあたりに手を出しつつ、のんびりしてるころに来るんじゃないかな。ラスメイ、追加しても大丈夫だよ」
 ラスメイは満面に笑みを浮かべ、既に手に持っていたメニューを覗きはじめたのだった。



【あとがき】

 いつもお世話になってます。かのとらぴさん。
 13000の獲得と申告、ありがとうございました。遅くなりましたが、短編、お送り致します。
 登場人物4人のほのぼの話……。いろいろ考えて見たのですが、4人がそろってては難しかったので、 ランとエノリアを中心に、ちょっと書かせてもらいました。うーん。おっしゃってたのとは違う感じに なっちゃったかもしれません、ごめんなさい。とにかくランを……と思って書きました。
 舞台は、1話目「月の消える日」の事件のあとです。
 ラスメイとミラールが、なんだかオマケみたいになっちゃいましたけど……。
 楽しんでいただけると嬉しいです!
 なんか、登場人物がもし現代に居たら……という設定も考えたりしてたんですけど、なーんか違う気がしたので やめました……。また、ネタとしてどこかで公表するかもしれませんが……。

 キリ番企画に参加、ありがとうございました! これからもどうぞよろしくおねがいいたします。
     テラ

 
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