>イマルークトップ >HOME
 
その花を、君に捧ぐ
 

 覚えているのは、その日は晴天だったこと。
 耳に付くすすり泣きが、自分のものなのか、他人のものなのか分からなくなってしまっていた。目はとても熱くて、自分の肩に置かれた手を一生懸命に握り締めて、そうしたらまた目が熱くなった。わぁわぁと泣き叫ぶには、私は少し理解のありすぎる子供だった。私は目立つわけにはいかない子供だった。でも、そのたくさんの人々の中で一番赤い目と顔をしていただろう。
 大好きなおばあちゃま。静かになってしまったおばあちゃま。
 箱の中に横たわるおばあちゃま。覗き込む。声をかける。無駄だと分かってしまってたけど、おばあちゃまと呼んでみる。もう、そのおばあちゃまの中に、おばあちゃまがいないことを、私は自分の中の力で確信してしまっていたけれど。
 周りを見渡しても、おばあちゃまの存在はもうなかった。だけど、ふと帰ってきてくれるかもしれないと、何度か呼びかけてみた。
 そのとき、ふっと鼻を甘い匂いがくすぐった。
 見上げるとおばあちゃまを挟んで向こう側に、人影があった。その人の顔は逆光で確認することはできなかったけど、その人物が何を抱えて何をしようとしているのかが分かった。
 ふぁさりとおばあちゃまの上に、沢山の白い花が乗せられた。
 その花をよく知っていた。庭に大切に植えられて、おばあちゃまが育てていた白い花。なんという名前か聞いても教えてくれなかった。ただ私の頭に手を載せて、お前が花嫁となるときにはあの花を両腕に一杯になるように贈ろうと微笑んだ。あの花は幸せを運んで見守ってくれるのだから、きっとお前にも……。
 おばあちゃまの声がよみがえって、また喉が熱くなる。花をささげた人物の白く長い指が、すっとおばあちゃまの額を撫でるのを夢現に見ていた。
 そこには、幼い私にも分かる愛おしさがこめられていて。でも、そうしているのが誰かを知りたいとは思わなかった。知る必要も、なかった……。

 

 豊かな枝を持つ大木の根元に腰を下ろして、彼女は細い両腕を思い切り伸ばした。背中を思い切りそらしたからか、後ろ髪が大木の木肌にこすれる。漆黒の髪に伸ばした手を持っていき、乱れを直した。
 天を覆うように入り組んだ枝の間からおちる柔らかな木漏れ日に目を細めた。
 眠っていたのだろうか。彼女はあたりをぐるりと見渡した。何かを探すように動く瞳は紫色。ふともたれかかった大木の脇に、さきほど寄った町で手に入れた竪琴の調律をしているミラールの姿が目に入る。ふと彼女の視線に気づいて顔を上げ、茶色の瞳が柔らかく微笑んだ。
「ラスメイ。眠れた?」
「みたいだ。……足止めさせてしまった」
「疲れてるんだよ、慣れない旅で。謝る必要はないよ」
 柔らかな声で彼はそう言うと、微笑んでみせる。本当に謝る必要はないのだと、思わせてくれる純粋な笑顔に、ラスメイは唇の端を少しだけあげて微笑み返した。
「エノリアとランは?」
「さぁ。ちょっと散策でもしてくるって森の中に入っていったけど」
「ミラールは……」
「僕はこいつの調律もしたかったからね」
 そう言って彼は繊細な指で弦をはじいた。透明な音が降り注ぐ。簡単な旋律をかき鳴らして、満足そうに息をついた。  ラスメイはその音を聞きながら、今度は目を開けたままあたりをぼうっと眺めていた。短かったが深い眠りにつけていたようだ。重苦しい疲れは大方引いていた。
 と、後方に広がる森から葉のこすれあう音がした。ふと振り返ると、茂みをかき分けて出てくる長身の青年の姿がある。長い髪を後ろで一括りにし、その腰には剣を下げていた。印象的なのは少しつりあがった緑色の瞳。あちこちに木の葉をつけた姿で現れ、その右手には不似合いな白い花の束を携えていた。それを追いかけるようにして後に続き姿を現したのは、同じく体のあちこちに木の葉をくっつけた女性……茶色の髪の乱れを手で直しつつ、前を歩くランに何か怒鳴っている。
「少しは後ろを歩く私のことも考えてよね!」
「なんだよ、ちゃんと木の枝押さえてやっただろ?」
「そういうのは、私がその木を手で押さえてから、離すの! みなさいよ、これ! 女の子の顔に傷つけておいてよく平気な顔してられるわね!」
「それは俺のせいか!?」
「そうよ。ほらっ!」
 頬を指差して怒っているエノリアと、それに半ば呆れたように言い返すランがこちらに近づいてきて、ラスメイは思わず苦笑してしまう。
「ひどい格好だね」
 ミラールが笑みを含んだ言葉をかけると、彼はああとぶっきらぼうに答えた。
「山の斜面の上のほうで咲いてた。こいつを取ろうとして、ちょっと足を踏み外して」
「ほんっとドジよね」
「お前が欲しいって言ったんだろうがっ」
「綺麗ね。ラスメイにも見せたいわって言っただけじゃない!」
「その後、俺の顔ちらちらちらちら見てたくせに」
「なっ。あんたが登るなんて思ってなかったわよ! 私が自分で採ろうと思ったんだから!」
 どんどんと口喧嘩……には既になっているが、にらみ合い取っ組み合いになりそうな二人の間にやんわりとミラールは入った。
「綺麗な花だね。……ん、うちの庭にも咲いてるのじゃない?」
「そっか。どっかでみた花だとは思ったんだ」
 シャイマルークの《緑の館》。あの無節操に花が咲き乱れた庭の一部に、それだけはセアラ自ら大層大切そうに育てられていたのを思い出す。
「珍しい花だけどね」
 ランはその白い花の束を先ほどから一言も発せずに、ランの姿を見ているラスメイに差し出した。ラスメイはおもわずきょとんとそれを眺めてしまう。それを貰う……花束を貰うという理由が思い当たらない。
「えっ?」
「花」
「……私にか」
「エノリアが見せたがってたからな」
「ああ……」
 しっとりと両手に植物の持つ水気が触れる。それがここちよい冷たさで、ラスメイは白い花に顔を近づけた。
「いい香りだ」
 ふと思い出す。この香り……。どこかで……。

 

 晴天。
 すすり泣き。
 白い、美しい指。
 蒼白の祖母の顔に触れる。柔らかに。優しく。
 ……愛しく……。

 お前が、花嫁になるときは。
 これを。
 ラスメイ……。お前が幸せになるように。
 誰よりも。私のように。幸せになれた私のように。
 あの人にもらい、そして、今度は私がお前に渡す。
『幸せに、なるように。私のジェラスメイン……お前に』

 

「思い出した。それ、『幸せを運んでくれる花』らしいぞ」
 へぇとエノリアは、ランの豆知識に驚いた。だがそれ以上に驚いていたのはラスメイだ。大きく目を見開き、息を呑む。異常なまでの驚きように、ランは居心地悪そうに身じろいだ。
「……違ったか?」
「違わない……。いや、違う」
 ラスメイはそう言ってから、一度唾を飲み込んだ。
「その言い伝えは違うんだ」
 そう言ってから再びラスメイは違わない、いや、違う。という言葉と表現を変えて何度か繰り返し、一旦口をつぐんでから、小首をかしげた。
「何故ランが『知っている』?」
「え?」
 ランが眉をしかめた。ラスメイは口に手をあてて、しばらく何かを考え込んでいた。エノリアが2人のやりとりを見ていて、興味を示して話の間に入る。
「ラスメイ? えっと、どういうこと?」
「私は『幸せを運ぶ花』と教えられた」
「じゃあ、あってるんじゃないの?」
 この少女の意図が分からず、エノリアは優しく聞く。少女はかたくなに首を振った。
「違う。そう教えられたが、その後、この花にはそんな言い伝えはまったく『ない』っていうことがわかった。だって、それは私が知っている人のまったくの創作だったから。
 だから、その嘘の言い伝えをランが知っているのが不思議なんだ」
 エノリアはしばらく考え込んでいたが、今度はランのほうへ首を向ける。
「ちなみにこの花の名前は?」
「えっと、何だったかな……。俺も小さいころに一度聞いて……。セアラに渡してくれって……。『幸せを運ぶ花だから』って……うーんと、その人が教えてくれたんだ。……どっかで聞いた名前だったと思うんだけどな」
 ラスメイが言葉を失ったまま、ランを食い入るように見つめている。
「その人って……? いつ、会った?」
「いつって、俺が……ラスメイよりももっと小さいころ。どんな人だったかな。女性だった。少し年をとった感じの」
「すごい品のいい老婦人だったよ」
 横からミラールが言葉を挟んだ。
「覚えてるのか?」
「思い出したよ。屋敷の門の前で遊んでたときだよ。僕ら、老婦人に声をかけられたんだ。セアラに渡してくれって」
 ミラールはそう言って、懐かしそうに目を細めた。
「そうか、変だよね。あの屋敷に『セアラ』が住んでるなんて、知っている人はすごく少ないはずなんだ」
 ミラールが、ラスメイを見る。
「ちなみに、ラスメイ。そのあるはずのない言い伝えを、ラスメイに教えたのは誰?」
「おばあちゃま」
「ああ、なるほど。そっか……じゃあ、あの老婦人って」
 ミラールはそう言ってラスメイに微笑んだ。ラスメイはその視線と言葉ですべてがわかったらしく、ちょっと驚いたようにミラールを見ていた。
 ランもエノリアも、いまいち飲み込めてないようだった。エノリアがおずおずと話に入る。
「ね、それって。ランとミラールがラスメイの……」
「そういうこと。その花の名前、覚えてない? ラン」
「えっ」
「そのときその老婦人が言ってた花の名前を、覚えてない? 僕、思い出したよ。……そのころから僕達、ラスメイに繋がってたんだね」
「ちょっと待てよ。名前? 名前……んなもの覚えてなんか……」
「そのときその老婦人はその花を僕達に託してこういったんだよ。『この花は幸せを運んでくれる花。貴方達の養父に、返したい』とそして、名前は」
 あっ、思い出したように声をあげて、ランはラスメイに視線を向けた。そして、呟く。
「ノーラジル……」
ミラールが静かに微笑み、ラスメイへ視線を向ける。少女は紫の瞳を微笑ませ、花に唇を近づけた。
「……おばあちゃまの名前だ……」
 ラスメイは、その香りを思い切り吸う。その花の本当の名をラスメイは知っていた。だけどそれは胸に仕舞っておく。今、それを彼らに教えて彼らに託されたものを、壊す必要はない。彼らに託され、そして、彼らの養父に渡されたものを……。

 

 晴天。
 白い、美しい指。
 蒼白の祖母の顔に触れる。柔らかに。優しく。
 ……愛しく……。

(あの指の主が、わかった気がする。
 そして)

 お前が花嫁になるときには、両手一杯のこの花を贈ろう……。私はとても尊敬し、好きだった人から、この花を両手一杯にもらった。そして、私は幸せになった。
 お前たちのような孫を得て、穏やかな余生を送ることができた。
 ラスメイ、お前に。誰よりも辛い思いをし続けるだろうお前にこの花を。
 この花が揺れるたびに、お前の幸せを望んでいるものがいるのだということを、思い出せるように。
 ラスメイ……。

 

(おばあちゃまが、心から愛した人の名も……)
 ラスメイはもう一度白い花を抱き、そして、顔を上げた。
 こちらを覗き込む3つの視線に微笑み、そして、勢いよく立ち上がる。
「大丈夫か、ラスメイ」
 心配そうにこちらをのぞきこんでいる緑の目に、頷いて見せた。
「よく眠れた。それに、いいもの、もらったしな」
 そしてもう一つの大木の木陰にいる愛馬に駆け寄っていった。手に持った花束を3人に振りつつ、大きな声で呼ぶ。
「次、早く行くぞ!」
 元気を取り戻した少女を前に、3人は顔をあわせて、少しだけ微笑んだ。ラスメイには勝てないなという呟きに、微笑みながら頷きつつ、手を振る少女のもとへ歩き出す。
 少女の持つ花束から抜けおちた一輪に気づき、エノリアはそれに手を伸ばした。ふと無意識に鼻に近づけると、甘く透き通った香りがした。晴天に良く似合う、爽やかな香りだと思った。

【終】   

 

 

【あとがき】

1年ほど前に、「番外競作企画 第1弾「その花の名前は」(実施済み・閲覧できます) に参加しようと思って書いたものです。書いたのはいいけど、これが実際説明抜きで世界観をあらわしているものかどうかも謎でしたので、投稿はやめたんですね。
それを、世界観説明部分を省いて、再び書き直してみました。
この、「白い花」と「ノーラジル」の話は、本編でもちょこっと触れています。「白い花」「ノーラジル」「セアラ」あたりの話は、一度ちゃんと書いてみたいと思っているエピソードので、またそのうちフラッと書くかもしれませんので、よろしくです。

あ、そしてこれは2年前の「3周年記念オールキャラランキング第1位」をとったラスメイの記念短編・・・・・・って2年前かよっ! 「4周年記念」のエノリアの短編は・・・・・・まだです。
ほんっと、私、短編とか下手だよなぁ・・・・・・。なんて思いつつです。

ではでは、本編のほうはまだまだかかりそうですが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
絶対に、途中で終わらせるなんてことはしませんので! 気長に・・・・・・待ってくださると嬉しいです。はい。

(2004.07.19)

 
良ければ、をクリックしてやってください。
HOMEイマルークを継ぐ者 感想用掲示板感想用メールフォーム